3.11からのリスタート

2020年3月9日

2011年3月11日

あれからもう9年ですね。あの日、私のその後の人生を大きく変えるきっかけとなった大震災が発生しました。

当時、私は上の写真に含まれている一角、西新宿高層ビル群の一角の44Fで仕事をしていました。

当時の私は、身の丈以上のサラリーをもらいながらも現状に不満を抱え、何となく

いつかは起業してみたないぁ

という淡い想いだけを抱いて中途半端な毎日を送っていました。そこに突然、何の前触れもなく襲ってきた大震災。

私の席からは普段見えない地上が見え、正直ビルが折れると感じ、それが私にとって初めて「死」を意識した瞬間だったかも知れません。

その後、今まで聞いたことのない緊迫感のある館内放送が流れ、とにかく一旦地上に下りることに。

とは言え、もちろんエレベータは止まっており非常階段をひたすら下るだけ。狭い空間内の同じ景色を見ながらグルグル回るように下りる、でも余震は続く、もう三半規管がおかしくなるような感じでした。

そして10分以上かけてやっと地上に到着。そこから見える景色もまた異常でした。

ビル群なので当然ながら周りに何本もの大きなビルが建っていましたが、そのどれもが揺れに揺れていました。特に初期に作られた5本は確か昭和47年築。この時期の耐震技術は柳のように揺らしてパワーを逃がす構造と聞いたことがありしたが、とにかく全てが揺れまくっていました(最新技術のコクーンタワーだけはじっとしたように見えます)。

その地上で1時間ぐらい過ごしたでしょうか。とにかくここに居ても仕方ないので帰宅することに。ただ、荷物はオフィスに置いたまま。

そこからもある意味、地獄でした。44Fまで登り、そしてまた下る。足がもうパンパンです。さらに自宅までも徒歩。

健康のためにそれまでも定期的に徒歩で帰っていましたがそのときはさすがにしんどく、翌日には久しぶりの筋肉痛に襲われました。

第二のふるさとの被災

その日の夜、テレビから流れてくる映像は、学生時代を過ごした第二のふるさと仙台の被災状況。女川原発のある地域に行ったことはありませんが松島や塩釜には覚えがありました。さらに閖上海岸などはいつも遊んでいた場所。そこに襲いかかってきた津波の映像。もう胸が締め付けられる思いでした。

以降数年は赤十字を通じて寄付を続けていましたが、その後も色々なところで自然災害が起こるのでキリがなく、今はもう「陰ながら応援する」体制に切り替えました、、、。

サラリーマンのリタイアを決意

この大震災で初めて死を意識したことが、逆にそれまでのモヤモヤを吹っ切ることになりました。

サラリーマンとしての自分はここでもう終わった。これからはサラリーに頼らず組織に縛られず、自分の力・スキルで稼いで自由に生きていこう

2010年には何となく起業の準備として最初の不動産、1棟物件の購入をしていましたが、この震災を受けてすぐに2棟目の物件の物色を開始、リタイアに向けて具体的に行動することにしました。

入居率99%の不動産投資【コンシェリア】

起業、そしてリタイア

2棟目を探し続けること半年以上、やっとこれならイケるかな?と思える物件に巡り会えました。

決済(私の持ち物となった日)したのは2012年1月、そして会社に退職の報告をし2012年4月、晴れて自由の身になったのでした。

なぜ不動産だったのか?

実際にリタイアするとなると

それなりのまとまった収入を毎月きっちり確保し続ける

必要がありました。

それまで1棟マンションの経営以外にも副業的に色々なビジネスに手を出してみましたが、当時まだどれも生活の足しになるレベルには到底及びませんでした。

決して不動産をやりたかったわけではなかったのですが

  • サラリーマンからでもすぐにできる
  • 一気にそれなりの収入を確保できる
  • 素人でもまだ戦える可能性のあるマーケット

というようなことから必要に迫られて消去法的に、というのが正直なところです。

年収500万円あれば出来るマンション経営

2020年現在

リタリアした時点で保有していた2棟はどちらも2018年までに売却済み。この間も不動産をいくつか買ったり売ったりしながら現在に至っています。

現在は23区内に小ぶりの1棟を保有しているだけですが、今後の不動産業にはあまり明るい将来を感じられません(キャッシュを持っている人なら逆にチャンスあり)。

そこで、早いタイミングで新しいスキルを身につけ、目に見えるもの・リアルに存在するものから見えないもの、要するに

ソフトウェアやサービス

でのビジネス展開を考えて準備を進めているところです。

年収訴求 CodeCamp